昨日に引き続き先日熊本市内で撮影してきた画像をUPします
大銀杏と熊本城
銀杏城とも言われる熊本城その名前はこの銀杏に由来します。清正公が築城の際にお手植えになったと伝えられ、また、清正が亡くなるときに、「この銀杏の木が天守閣と同じ高さとなったときに、何か異変が起こるであろう」と予言し、それが奇しくも明治10年(1877年)の西南戦争のときであったとも言われています。
清正は銀杏の実を食料とするために、この木を植えたとよく言われますが、残念ながらこの木は雄の木で実はつけません。
現在の木は西南戦争で燃えたあとに、芽吹いた脇芽が成長したもので、130年でこれだけの大きさに成長したのです。
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