轟水源

一日約三千トンの水量で、細川支藩二代細川行孝公が宇土入部後、ここを水源として4.8kmの市街地まで上水道を作ったのが始まり。当時水道は陶管であったが、明和の頃、六代細川興文公の時に現在の樋管(馬門石)に変えられる。今なお300年以上も生き続けているこの上水道は日本現存最古のものといわれている。
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