水前寺公園

熊本藩の初代藩主細川忠利が寛永13年(1636年)頃から築いた「水前寺御茶屋」が始まり。細川綱利のときに泉水・築山などが作られ、現在見るような形となった。陶淵明の詩「帰去来辞」の一節「園日渉以成趣」からとって「成趣園」と名付けられた。安永5年(1776年)には東側に馬場が設けられた。
明治に至り官有となったが、中心となる御茶屋「酔月亭」は1877年(明治10年)の西南戦争で焼失し、泉水・築山なども荒廃した。これを憂慮した有志が払い下げを要望し、1878年(明治11年)に細川藩主を祀る出水神社が園内に創建され、庭園は出水神社の社地として払い下げられた。
近世細川家の祖で忠利の祖父細川藤孝(幽斎)が後陽成天皇の弟八条宮智仁親王に古今和歌集の奥義を伝授したといわれる古今伝授の間がある。当初八条宮の本邸にあったが長岡天満宮に移され、桂宮家から1871年(明治4年)に細川家に贈られ、解体し保管されていたものを、1912年(大正元年)、酔月亭の跡地に移築したものである。
1929年(昭和4年)12月17日に「水前寺成趣園」として、国の名勝および国の史跡に指定された。
市のメインストリートである県道沿いにあり、市電の「水前寺公園」電停、JRでは水前寺駅が最寄り。最盛期には年間約180万人もの観光客が訪れていたが、近年は減少を続け40万人弱になっている。
当初周囲は畑であったため阿蘇山、飯田山、立田山、健軍神社などを借景にしていた。しかし、今日では利便と環境の良さのため周囲にマンションが建ち並び、景観を損ねているともいわれている。
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