2013-02-16

日記・コラム・つぶやき

鬼丸眼鏡橋

アーチ型 長さ:10.7m、幅:4.4m、全高:4.1m、径間:5.2m、拱矢3.15m、壁石:40cm、 輪石:29個、基礎2段 欄柱右:大正5年(1916)、欄柱左:鬼丸橋陰刻 県道玉名・八女線中和仁鬼丸の、矢部谷川に架かる眼鏡橋である...
日記・コラム・つぶやき

ミッションコンプリート

八つの神様めぐりコンプリートです さてどうしよ帰るかな
日記・コラム・つぶやき

手足の神様(足手荒神)

手足の神様 立山の足手荒神は、その昔六嘉(現在の上益城郡嘉島町)の足手荒神を分霊して当地に霊祀したといわれており、現在も当時のままの状態で安置されています。 足手荒神前の小さな池には、以前は白い水がこんこんと湧き出ていたそうです。今も水量は...
日記・コラム・つぶやき

耳の神様(柳川由布大炊助の墓)

天正15年(西暦1587年)12月、佐々成政の要請を受け、和仁一族の田中城攻めに参戦した大炊助は、豊後由布氏の一族で、筑後柳川城主・立花宗茂の家人であった。 騎馬大将として先頭に立ち、大手門より攻めいく中で、家来から「危のうござる!お下がり...
日記・コラム・つぶやき

命の神様

御神体は石であり、昔から『命助けの神様』と信仰されてきた。生死にかかわる病気の時、一生に一度だけ平癒を願えば、必ず叶えられると言われている。地元では「坂梨弥五助が山森阿蘇神社を勧請した折に建立されたのではないか」と言われている。 和水町には...
日記・コラム・つぶやき

歯の神様

歯の神様 歯に良く似た墓石(板碑)は、鎌倉時代から室町時代にかけて造立されたのではないかと推測される。 その両脇にある宝筺印塔と五輪塔の存在がそれを示しているが、定かではない。 いずれも、先亡者の供養や墓石として作られたものと思われるが、地...
日記・コラム・つぶやき

性(腰から下)の神様「七郎神」

七郎神(しちろうじん) 正治2年(西暦1200年)12月4日、坂梨家の祖である坂梨弥五助は、土地鎮護と農耕開拓の守護神として、肥後一の宮阿蘇神社本宮より、御分霊を戴き、この吉地村に下り、山森阿蘇神社を創建したと言われている。 その時、供養者...
日記・コラム・つぶやき

胃の神様

昔は、正月や例祭日には、近所はもちろん遠方からも大勢の参拝者があったと言われているが、地元では昔から『胃病に御利益がある神様』との言い伝えがある。 胃病の治療祈願の折には、どじょうを参拝途中の池に入れてお供えする習わしがあったという。昔から...
日記・コラム・つぶやき

三ヶ所目

三ヶ所目胃の神様です 暴飲暴食するのでぜひお参りしておかねば って杖が有るけどこれを登るの?
日記・コラム・つぶやき

いぼの神様

ここに鎮座している巨石を総称して、地元では『いぼ石さん』と呼んでいる。この石は、いぼ取りに効能のある神様として、昔から参詣する人が多く、いぼで悩んでおられる方々の祈願所として祭られている。 願たての祈りは、自分の年齢の数だけ煎った大豆を献上...
日記・コラム・つぶやき

目の神様

目の神様 戦国時代、肥前の竜造寺軍勢が神尾城(城主:大津山家稜)を攻めた時、一人の手負いの武士が、この岩壁の中腹の藤かずらにひっかかり宙吊りになっていたのを小次郎丸の村人達が見つけ下ろしてやったものの、敵の侍と知り怖さのあまり、鍬・鋤等で打...
日記・コラム・つぶやき

【体にまつわる八つの神様めぐり】

先日船山古墳から回ろうとしてた和水町八つの神様ご利益めぐり です
日記・コラム・つぶやき

蛇田橋

熊本は石橋が多いな って錯覚 知らないだけで他県も一杯有るのかな 【GPS情報】
日記・コラム・つぶやき

食糧調達

ドライブの途中だけど玉名のロッキーに寄って食糧調達です 私はよっほどの事がない限りコンビニは使わん だってお金が勿体無い
日記・コラム・つぶやき

いい天気

おはようございます熊本はいい天気です デジカメもってドライブに出発です