耳の神様(柳川由布大炊助の墓)

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天正15年(西暦1587年)12月、佐々成政の要請を受け、和仁一族の田中城攻めに参戦した大炊助は、豊後由布氏の一族で、筑後柳川城主・立花宗茂の家人であった。
騎馬大将として先頭に立ち、大手門より攻めいく中で、家来から「危のうござる!お下がりくだされ!」と強くとがめられるが、もともと耳が不自由な大炊助には聞こえるはずもなく、城中から放たれた矢に胸を射抜かれ討死したという。
それを伝え聞いた村人達は、大炊助を丁重に葬り、代々供養をし続けてきたことが、後の悲話として語り継がれている。
墓前には、火吹き竹が供えられ『耳の神様』としてまつられている。
参拝の方法としては、火吹き竹を借りて吹いて耳にあてる。
お礼参りには、新しい火吹き竹を奉納する。
【GPS情報】
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