仙巌園

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島津家別邸仙巌園に来てます
小一時間歩いて汗だくです
1658年(万治元年)に第19代当主であった島津光久によって造園され、その後も歴代当主による改築が重ねられてきた。借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、1958年(昭和33年)に国の名勝に指定された[1][2]。
幕末には第28代当主島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こした。1857年(安政4年)には、園内の石灯籠にガス管をつないで点火させ灯火として用いたことから、日本のガス灯発祥におけるルーツの一つとして挙げられる場所にもなっている。
1888年(明治21年)からは焼失した鹿児島城に代わり島津忠義公爵一家の住まいとなっていたが、忠義の死後に跡を継いだ島津忠重は薩摩藩出身の新政府高官らによって東京市に移住させられ、仙巌園も住人不在となった。1949年(昭和24年)、華族制度廃止に伴い鹿児島市の管理下に置かれたが、1957年(昭和32年)には島津家に返還され、現在は島津興業が管理している[3]。
春の曲水の宴や江戸時代の作法に則って行われる端午の節句、七夕の展示、初冬に行われる草鹿式などが有名。

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